仲間が体調を崩した。要介護認定を受けて不自由な日々を送っている。自宅治療だが留守番ができない。遠出も無理ならば、我々が出向いて昼飯でも食べながら元気づけようと話がきまった。久しぶりの邂逅に、病人は緊張と安堵をくり返し、家ではみられない表情の変化もあった。友達は有難い。机の上に三脚を置いて撮った駒。

  大勢さんの写真は忘年会で奥行きのある画面。手前から奥まで全員にピントを合わせるのはムリである。できるだけ絞りを絞ったから、当然1/8秒というスローシャッターになった。被写体ブレが起きる。皆に、正面の障子の前に並んでもらえば、身体の大きさも現実そのままのピントに合った写真になる。しかし、すでに各々場所を選んで陣取っている。ここで移動すると空気が変わるだろう。雰囲気をこわさないよう、写す側が配慮した。

ふたつの写真は、両方とも「その場の光」で撮っている。その場所で、その時感じている明暗の差を再現できるからだ。ストロボを使うと影が壁にうつってうるさかったり、メガネが光ったり、カメラに近いひとは露出オーバーだが遠いひとはアンダーにといった不自然さも避けられまい。写真はありのままを大事にしたい。カメラを三脚に載せれば、スローシャッターも心配なく使える。そしてもうひとつ、自分も画面に入れるから三脚を使う。

かつてプラハを歩いたときのこと、銅像が目についた。アントニン・ドヴォルザーク作曲家だ。一緒にいた人々に、ここで記念写真を、と誘ったら、あまり乗り気でなく、不承不承画面に収まったものもいた。ところが帰ってきてしばらくして、ドヴォルザークの所の写真といっただけで、焼いて、焼いてだった。

そのときは気が向かなくても、時がたつと欲しくなる。自分が写っていればなおさら放置できないのがセルフタイマーを使って撮った記念写真なのだ。自撮り棒でスナップの範囲がひろがっているが、三脚にカメラを載せて、きちんと撮る写真の価値は損なわれることがあるまい。

ポイント


 

写真はありのままを大事にしたい。カメラを三脚に載せれば、スローシャッターも心配なく使える。そしてもうひとつ、自分も画面に入れるから三脚を使う。


34-2 34-1 34-3