初韮はうまい。春、伸びはじめた葉を初めて刈る韮だ。雑草もまだ幼いから、切出しナイフで根元から切り取る。切り取った断面には、根が吸いあげている水が露のように湧きあがる。韮は独特のにおいがするから、嫌いなひとも少なくあるまいが、私は好きだ。強い野菜で、10日もするとまた刈り取れるほど葉は伸びる。初韮のうまさは、やわらかさと甘さだ。サッと湯がいて鰹節をかけてもいいし、お汁の実、とき玉子を落としてもうまい。

  その韮が、8月の終わり頃から花茎を伸ばす。蕾の部分を摘みとって玉子とじにすると、これもまたうまい。9月に入ると、白い花を咲かせる。花は虫の社交場となる。

  今年はイチモンジセセリがよくきた。口吻を伸ばして蜜を吸うときは動かないから狙いやすくはあるものの、絵になるポーズはなかなか撮れない。あれがいい、これがきれいと追っても、追いかけっこになるだけで、写真になりにくいものだ。待って撮る。根気がいる。
小学生のとき、学校帰り、草の葉や穂でギイチョッチョ(その地方の呼び名で、イチモンジセセリのこと)の腹を縛る。子供の細い指だからできたのだが、腹を縛られてもギイチョッチョは羽をバタつかせ続ける。と、すぐさまシオカラトンボがとびついたものだ。シオカラ釣りなのだ。虫が多かった。関越自動車道開通直後でも、高速を降りると、ぶつかった虫で汚れたフロントガラスを拭ったが、いまそういうことはないだろう。虫が減ったのだ。韮にはミツバチもくる。しかし動きが活発でこれといったシーンは撮れなかった。かわりに、キオビツチバチを撮った。クモも獲物にするには相手が悪いのだろう、手を出さない。

  ギイチョッチョもツチバチも、ピントは大丈夫、三脚の威力なのだ。手元のカメラの手持ち撮影では、こうはゆかない。カメラの保持は三脚任せ。三脚に任せているから、構図とピントとチャンスに神経を集中できる。

  自由雲台のボールを、完全には固定しないで、カメラを手持感覚で被写体の動きに即応させる。ピントのわずかな調節と確認をしながら、ここという瞬間にケーブルリーズでシャッターを切る。聖徳太子でないから、同時にいくつもの仕事を成功裡にこなすわけには参らない。ひとつことに専念するのである。目の大きなセセリの顔、可愛い。

 

ポイント


ピントは大丈夫、三脚の威力なのだ。手元のカメラの手持ち撮影では、こうはゆかない。カメラの保持は三脚任せ。三脚に任せているから、構図とピントとチャンスに神経を集中できる。


 

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