8月のある朝、新聞をとりにでて驚いた。巣になにかかかっている。鳥だ。鳥ではないか!クモの巣に鳥がかかっている。動かない。生きているのか?クモはいるのか?いや、カマキリがいる。まず現場写真。トリの命にかかわることだから。すかさず、棒で巣糸をたぐり、トリを掴んだ。生きている。糸でベトベトでもない。大丈夫そうだ。カマキリが鳥の肛門あたりに喰いついている。ここは羽毛がないからだろう。答えるわけもないトリに、「どうした?」ときいてみる。あばれる。掴んでいた手をひろげると、手の平を蹴って飛んだ。思いの外元気そうだ。隣家との境の植え込みに消えた。カマキリはどこえ行ったか姿がない。

 トリはシジュウカラの幼鳥らしい。ドジを踏んだか。クモの巣にかかっては、暴れても踏ん張りがきくまい。動作は空を切るばかりで、逃げられない。万事休しているところへ今度はカマキリも網にかかった。そうしたら、シジュウカラが身動きできずにいる。これ幸いとばかり、囚われ身分を忘れ、尻にかじりついたのだろうか?

 しばらくすると、親鳥と件の幼鳥とおもわれる鳴きかわしが聞こえた。大丈夫らしい。よかった。

 しかし、そこで思い出したのは、六月の出会い。車を車庫に入れて降りると、後輪横にトリがいて、こっちをみている。さては巣から落ちたきかん坊か、弱虫か。でもワンショットしたら飛び去った。これが、クモの巣にかかった幼鳥そのものではあるまいか?もしかしたらとピンときた。
今度は、8月末のこと。トリの遺骸を庭でみつけた。蟻が土をかけて葬り、天がタマスダレを手向けている。これは、あのクモの巣にかかり、尻をカマキリにかじられたシジュウカラではなかろうか?
あれも人生。これも人生。トリの生涯もいろいろである。

ポイント


まず現場写真。トリの命にかかわることだから。すかさず、棒で巣糸をたぐり、トリを掴んだ。生きている。


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